福岡地方裁判所小倉支部 平成3年(ワ)174号 判決 1993年1月28日
原告
疋田佳斗
右訴訟代理人弁護士
三代英昭
右訴訟復代理人弁護士
松本光二
被告
北九州市
右代表者市長
末吉興一
右訴訟代理人弁護士
吉原英之
右訴訟復代理人弁護士
河原一雅
主文
一 被告は、原告に対し、金三六六万八〇八〇円及びこれに対する平成三年三月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを四分し、その三を原告の負担、その余を被告の負担とする。
事実および理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する平成三年三月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一争いがない事実
1 原告は、平成二年五月二日正午ころ、被告の設置した北九州市立八幡図書館(以下「本件図書館」という)において、高さ二メートルの木製棚の天板上にある新聞の閲覧を求めたところ、右図書館係員である入江久美子(以下「入江係員」という)が持ってきた脚立(以下「本件脚立」という)に登って新聞を取り出して閲覧した際、右脚立の脚が開いて原告がコンクリート床上に転落して負傷した。以下、これを「本件事故」という。
2 原告は、右事故により第一腰椎圧迫骨折の傷害を受け、次のとおり治療を受けた。
① 平成二年五月二日から同年七月二日まで(六二日間)
北九州市立八幡病院に入院
② 平成二年七月一〇日から同年一一月一日まで
同病院に通院
③ 平成二年一〇月二五日から同年一一月二四日まで
黒崎整形外科病院に通院
3 右事故による原告の損害のうち、後遺障害を除く損害については、平成二年八月二八日示談解決済みである。
二原告の主張
1 入江係員が、別室から脚立を持ってきてその新聞のある木製棚の前に置き、脚を広げてガチャガチャと音をさせ、三度くらい揺すって安全を確認して、原告に対し「どうぞ」といってその使用を促した。そこで、原告は、右脚立の三段目まで登って目的の新聞を取り出し、一旦部屋を出て、新聞を閲覧した後に、再び新聞をもとの位置に戻すべく、脚立の最上段まで登って両手を差し上げて新聞を元の位置に置こうとした途端に、脚立の脚を固定するための止め金が確実に止められていなかったため、脚立の脚が開いて、原告が転落したものである。
2 本来、本件図書館において、収納されている新聞を閲覧するに際しては、図書館員が閲覧者の申出でに基づいて収納新聞を取り出して閲覧に供すべきものであるが、便宜、脚立を設置して閲覧者自身に目的物の出入れを認めるに際しては、係員は脚立の性質、設置位置等に応じて、脚立の止め金を確実に止めるなどして、人が登ったときに転倒しないように危険防止措置をすべき義務がある。しかるに、入江係員は、右脚立を原告に使用させるにつき、脚立の止め金が確実に止めてあるかどうかの確認を怠り、危険防止の措置をなすべき義務を怠ったため、本件事故が発生したものである。
3 原告は、本件事故により、傷害を受け、平成二年一一月二四日症状固定し、次の後遺障害が発生した。
① 第一腰椎に圧潰痕が残っている。
② 胸腰椎部に前屈六〇度、後屈一五度の運動障害がある。
③ 中腰になると痛い(二分以上できない)。
④ 胡座のとき痛む(五分以上不可能)。
⑤ 椅子に三〇分以上座れない。
⑥ 一キロメートル以上歩けない。
⑦ 重いもの(一〇キログラム以上のもの)は持てない。
⑧ うつ伏せから起き上がるとき痛い。
4 そのため、次のとおり合計四三三三万六〇〇〇円の損害が生じた。
(一) 逸失利益 三三三三万六〇〇〇円
就業可能年数一四年
労働能力喪失率五六パーセント
年収 五七一万九〇〇〇円
中間利息控除 新ホフマン係数10.409
(二) 慰謝料 一〇〇〇万円
5 よって、右図書館の設置者たる被告に対し、主位的に国家賠償法一条に基づき、予備的に民法七一五条に基づき、その損害の賠償を求める。
三被告の主張
1 原告は、本件図書館において本件新聞の閲覧の申請をし、同図書館の職員の入江係員がこれを受け付けた。入江係員は、原告を目的の新聞が収納されている特別閲覧室に案内し、探した結果、その目的の新聞は同閲覧室の木製棚の天板の上にあるのが判明した。従来から本件図書館においては閲覧者がみずから収納新聞を取り出して自由に閲覧する方法を採っていたので、目的の新聞綴りが高所にあったので、入江係員は、同室内にあった折畳み椅子を右新聞棚の前において「どうぞ」といって、原告みずからその上に乗って目的の新聞を探して取り出すよう促したが、原告がその上に乗って新聞綴りを探したが高所にあるため探すのが困難と思われた。そこで入江係員は「脚立を持ってきます」といって別室から脚立を持ってきて前記本棚から約1.4メートル離れた付近に置いて、固定されていた脚立の止め金をはずそうとしたがはずれなかったので「どうぞ」といって原告に脚立を渡して自分は退室してしまった。その後原告がどのように右脚立を使用したか不明であるが、原告が右脚立を使用中に脚立の脚が開いて原告が転落して負傷したものである。
2 したがって、入江係員が脚立の止め金を外そうとしてできなかった(すなわちまだ止め金が掛かっていない)ことを、原告はそばにいて知っていたはずであるから、成年男子である原告は当然止め金が掛かっているか否か、足場はしっかりしているか否か等の安全の確認を行うものと判断していたものであり、このような状況においては入江係員に過失はない。
3 仮に入江係員に過失があったとしても、原告にも次のような過失があり、過失相殺がなされるべきである。すなわち、①本件脚立を設置場所に運んでそれに登る際には、一般通常人であれば(成年男子であればなおさら)止め金が掛かっているかどうか、足場がしっかりしているかどうか等、まずその安全を確認してから登るべきであるのに、その注意義務を怠った過失がある。②仮に原告主張のように脚立の最上段の上に登って新聞綴りをもとの本棚の天板上の位置に戻そうとしていたとすれば、天板及び脚立の高さから、脚立の三段目まで登れば十分本棚の天板上に新聞を戻すことができたはずであるのに、敢えて不安定で危険な脚立の最上段の上に登って本件受傷を発生させた過失がある。
第三当裁判所の判断
一<書証番号略>、証人入江久美子の証言、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、平成二年五月二日、本件図書館受付において本件新聞の閲覧の申請をし、同図書館職員の入江係員がこれを受け付けた。入江係員は、原告を目的の新聞綴りが収納されている特別閲覧室(以下「本件閲覧室」という。)に案内し、探した結果、その目的の新聞綴りは同閲覧室の木製棚の天板(床から高さ1.98メートル、なお、天井までの高さは三メートル)の上に積み上げられているらしいことが判明した。従来から本件図書館においては閲覧者がみずから収納新聞を取り出して自由に閲覧する方法を採っていたし、また、目的の新聞綴りが高所にあったので成年で長身(身長1.72メートル、当時五二歳)の原告みずからこれを取り出すのが適当であると考え、入江係員は、まず、同室内にあった折畳み椅子(高さ約四〇センチメートル)を右新聞のある本棚の前において「どうぞ」といって、原告がみずからその上に乗って目的の新聞を探して取り出すよう促し、原告がその上に乗って新聞綴りを探したが、なお高所にあるため探すのが困難であると思われた。
2 そこで入江係員は「脚立を持ってきます」といって一旦部屋を出て別室から本件脚立を持ってきて原告のいる位置付近(その位置が、目的の新聞綴のある本棚のすぐ前であるか、少し離れた場所であるかは、当事者間に争いがある)に置いたうえ、固定されていた脚立の止め金をはずそうとした。すなわち、脚立は、脚を開いて使用するときは止め金を両方の脚に差し渡すようにして止めて固定するのであるが、脚立を使用しないときは、止め金を外して脚を折り畳み、外した止め金がぶらぶらしないように片方の脚に固定して止めるようになっている。そこで、入江係員は、まず、両方の脚を開いて脚立を立てたうえ、止め金で脚を固定すべく、まず片方の脚に止められていた止め金を外そうとしたのである。しかし、その止め金がなかなか外れなかったので、自分で脚を固定することは断念して、後は成年男子である原告に任せれば、当然自分で脚立の止め金を掛けて脚を固定して使用するであろうと考え、そのまま「どうぞ」といって原告に脚立を引き渡して自分は退室してしまった。
なお、脚立の床からの高さは、一段目0.26メートル、二段目0.56メートル、三段目0.86メートル、四段目1.16メートル、最上段1.48メートルである。
3 これを受け取った原告は、既に脚立の脚は開いて立てられていたため、右脚立の脚は固定されているものと誤信し(脚立の脚は、開いて立てると、止め金で固定されていなくても、特に力が加わらない限り、倒壊することなく、そのままの状態を保つことができた。)、脚立の止め金が確実に止められているかどうかを確認することなくこれに登って使用した。原告は、まず、その脚立の三段目まで登って目的の新聞綴りを探して取り出し、本件閲覧室内の机の上において閲覧した後、再度右脚立の最上段まで登り、天板の上に立って新聞綴りを元の位置に戻そうとした(積み上げられた新聞綴りの上に乗せようとした)とき、突然脚立の脚が開いて、原告が床の上に転落して負傷した。なお、脚立の最上段には、見やすいところに「天板の上に立たないで下さい」との注意書きがあった。
二以上認定の事実によれば、入江係員としては、脚立の止め金を外そうとしてできなかったのであるから、当然まだ止め金で脚が固定されていない状態であることを知っていたはずである。そして、脚を固定しないまま脚立を使用すれば、脚が突然開いて乗っている者が転落して負傷する虞があることは明らかであり、止め金を掛けずに脚を開いて立てたままの状態で脚立を相手に渡せば、相手は安易に脚が固定されているものと誤信してこれに登る可能性が考えられるのであるから、原告に本件脚立を渡すに際しては、まだ止め金が掛かっていないことを一言知らせて注意を促すなどして危険の発生を防止すべき注意義務があったというべきである。しかるに入江係員はこれを怠り、漫然と、原告が近くにいて右の状態を知っているか、そうでなくても当然脚の固定されていない状態に気付いて、みずから止め金を外して両脚を固定する操作をして脚立を使用するであろうと軽信し、単に「どうぞ」といっただけで右脚立を原告に渡して退室してしまった点に過失がある。
三一方、原告においても、本件のような構造の脚立では、脚を固定しないで上に乗れば、脚が開いて転落し、極めて危険であることは、常識的に容易に判断し得るものであるから、これを使用して上に登ろうとする場合には、予め、止め金で脚が正常に固定されているかどうか(中途半端な止め方では危険である)を確認したうえで使用し、みずから未然に危険を防止すべき注意義務があったと解すべきである。そして、その確認も一瞥するだけで足り、極めて容易であること(止め金は脚立の両側にあって、本体の色と異なった目立つ赤い色に塗られていた)、本件の場合、原告は、女性である入江係員が脚立の止め金を外そうとしてカチャカチャいわせていることを、そばで見て知っていたのであるから、原告としては脚立を受け取った段階で、当然止め金が果たして正常に掛かっているか否かを改めて確認したうえ(本件の場合、不完全に掛けられていたのではなく、全く掛けられていなかったのであるから、その状態は一見して分かったはずである)これを使用すべきであったと思われること、などを勘案すると、原告の右過失の程度は決して軽くはなかったと認めるべきである。なお、入江係員が最初本件脚立を置いた場所が、仮に本件本棚のすぐ前であって、そのままの位置で使用することができた場合であったとしても、右の過失を否定することはできず、その程度についても、止め金の異常は容易に気付き得ることから、それほどの影響はないものと認めるのが相当である。
また、原告は、新聞綴りを持って脚立の最上段の天板の上に立っていたというのであるが、天井の高さ三メートル、本棚の天板の高さ1.98メートルと原告の身長1.72メートルとを対比して考えると、本件新聞綴りを天板の上に積まれた新聞綴りの上に戻すにしても、脚立の三段目まで登れば、身長と合わせて頭の高さは2.56メートルとなり、そのうえ手を伸ばせば更に三〇センチメートルくらい上の方までカバーできるはずである。仮に新聞綴りが天井付近まで積み上げられていたとしても、四段目まで登れば頭の高さは2.88メートルとなり、楽に出し入れができたはずであるから、敢えて危険な最上段まで登る必要はなかったはずである。しかるに、原告は、新聞綴りを持ったまま敢えて不安定で危険である脚立の最上段(天板)の上に登ったものであって、これも本件事故を発生させた一要因と考えられる。なお、脚立の最上段の見やすいところに、天板の上に立たないようにとの危険を警告する注意書きがあった。原告は自分は目が悪くて右注意書きはよく見えなかったというが、新聞綴の字が読めるのであれば十分に読むことができたはずである。
四以上のとおり、本件事故には入江係員と原告の双方の過失が寄与していると認められる。双方の過失が本件事故に対し寄与した割合は前記認定の事情を総合して判断すると原告六五パーセント、入江係員三五パーセントと認めるのが相当である。
五次に本件損害賠償については、既に平成二年八月二八日に後遺障害を除く示談が成立していることは当事者間に争いがない。右示談書(<書証番号略>)には「将来、本件事故に起因する後遺障害が発生した場合には、双方協議のうえ処理する。」との条項がある。
ところで、<書証番号略>、証人太田良實の証言によれば、原告は、本件事故による傷害の治療について、平成二年一一月二四日症状固定し、後遺症状として、第一腰椎圧迫骨折のため、X線上で第一腰椎に圧潰像が認められ、中腰になると痛い(二分以上できない)、胡座のとき痛む(五分以上できない)、椅子に三〇分以上座れない、一キロメートル以上歩けない、重い物を持てない(一〇キログラム以上)、うつ伏せから起き上るとき痛い(以上いずれも腰部痛)などの自覚症状があり、後遺傷害等級一一級に該当し、右後遺症は少なくとも九年間程度は継続するものと認めるのが相当である。
前記示談当時、被告が担当医師に尋ねたところ、後遺症はないであろうという回答を受けていたので(<書証番号略>)、それを前提に原告と示談したことが認められる。そうすると前記後遺症は示談当時予期していなかったものであることが認められ、本件示談で解決されたものではないことが明らかである。
六そこで右後遺症に基づく損害額を検討する。
(一) 逸失利益
前記認定の後遺症の部位程度、原告の職業等を勘案すると、これにより原告の労働能力は二〇パーセント程度を喪失したものと認めるのが相当である。
<書証番号略>、原告本人尋問の結果によれば、原告は当時五二歳の健康な男子であり、主として商品取引を営む株式会社西田商店にセールスマンとして勤務し、同時にヤングビーナスという入浴剤の販売業をも営んでいたことが窺われるが、その収入については原告提出の資料(<書証番号略>)によっても正確な金額は把握できない(例えば経費等についての資料がない)から、結局、収入については平成元年のいわゆる賃金センサスによる男子労働者の平均年収四七九万五三〇〇円を採用するのが相当である。
そこで、右後遺症の継続期間九年間の得べかりし利益を、ホフマン式計算(係数7.2782)により、その間の中間利息を控除して事故当時の現価を算出すると六九八万〇二三〇円(円未満切捨て)となる。
(二) 慰謝料
以上認定の事実によれば、原告が本件事故による傷害のため精神的損害を受けたことは容易に推認することができ、これに対する慰謝料額は、右後遺症の部位、程度、治療状況など諸般の事実を総合すれば、三五〇万円と認めるのが相当である。
(三) 過失相殺
以上によると原告の損害額は合計一〇四八万〇二三〇円となるが、右損害については原告にも六五パーセントの過失が寄与しているから、これを控除すると三六六万八〇八〇円(円未満切捨て)となる。
七ところで原告は、右損害につき、主位的に国家賠償法一条によって賠償を求める。しかし、本件図書館は、地方公共団体たる被告の設置する公立図書館である。図書館は、図書等の資料を収集して人々の自主的学習や調査研究のため利便を提供することを目的とする社会教育施設であり、その事業は「図書館奉仕」と呼ばれ(図書館法三条)、国民に対するサービス活動としての性格を有するものと解されている。したがって、本件の図書館等の貸出行為は国家賠償法一条にいう「公権力の行使」に当たらないと解するのが相当である。
しかし、入江係員は、本件図書館の職員として被告に雇用され、右図書館の貸出業務に従事中に、過失により本件事故を惹起し、原告に損害を与えたものであるから、被告は民法七一五条により、原告に対し右損害を賠償する責任がある。
第四結論
以上によれば、原告の請求は、右損害額三六六万八〇八〇円及びこれに対する平成三年三月一四日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官綱脇和久)